ノートの製造は昭和5年に大阪で創業し、約60年にわたりノートの生産を続けて来られた大栗紙工株式会社さんとの共同で進めました。
しかし、素材の独特な表面のせいで生産が困難な可能性が高いというのです。そこで立ち上がったのが、取締役の大栗佑介さんでした。
「このような素晴らしい素材を使ったノートを僕も作りたいと思っているんです」
このような強い気持ちを持ってノート開発にチャレンジしてくださいました。
そこで、機械に通るように複数の厚さのkome-kamiを用意し、事前に紙を曲げるなどして「クセ」をつけて様々なパターンで実際に機械を動かすことになりました。
テスト生産当日、大きな音を立てて機械が動きだし、流れるようにノートが動きだしました。
「これはうまく行った・・・」
そう思った瞬間、機械が大きなアラームを出して停止。現場の方が全員集まってマシンの点検をはじめました。
紙にコシがありすぎて、また独特な表面のせいで、正しいルートを通らずラインを過ぎてしまっていたのです。
ここから長年の現場で培った職人の手先の感覚による、紙やマシンの微調整が始まりました。微調整して機械を動かすが、停止。この作業を数十回繰り返しました。
「やはり難しいのか」
そんな不安がよぎったその時でした。大げさに紙を曲げたあと戻し、半分だけのクセを再度付ける。このパターンで試したとき、アラームがならず、正しくラインを通ってノートの生産が開始できたのです。
この瞬間、kome-kamiでのノートの生産が無事に出来ることが分かった瞬間でした。この機械を通ったら4つのノートが連なった長いノートが完成します。
最後に、この長いノートを流れるよう4つに分割する機械に通したらノートの完成です。流れるラインの上からカッターが当てられ、通るだけで分割されるのです。
このように大栗紙工さんのご尽力によって幾多のも困難を乗り越えてやっとkome-kamiノートを完成させることができました。